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母の介護 その2

[2021.06.08]
母と父は歳が8歳離れています。夫婦喧嘩になると「お前が産まれた時には俺は読み書きしていたんだ」とたしなめられたそうです。そんなの先に生まれているのだから当たり前なのに~と呆れてしまいますが、まだ若かった母は、嫌われては大変、と父の言うこと全てに従ってきたそうです。子供からみても、せせこましく動いていて、(あっ、良い言葉で言うなら甲斐甲斐しくですね)本当に昭和の頑固親父、亭主関白そのものでした。父が他界し複数年経ち、母の認知症症状が目立ち始めた頃「私、家事なんて大嫌いだった、もうダラダラ過ごしたい。」 と言い出し、お散歩もお料理も全部面倒くさい、と拒否。 もちろん同居の姉には叱られてばかりいました。しょっちゅう喧嘩にもなり、先日は姉が箱ティッシュを壁に投げぶつけ、母は泣いて「もう死にた~い」と叫ぶしの修羅場。あー怖い怖い、とっさに刃物を隠したのは言うまでもありません。 だからでしょうか?父の写真を見せても、「誰かな、知らないなぁ?」と言うことが多くなりました。大好きな石原雄次郎さんは絶対にわかるのに。見上げた父の遺影が、バツが悪そうに笑っていました。 悪い言葉も態度も本人ではなく、病気がさせていることなので、怒ってはいけないと、家庭の介護読本には書いてあります。けれどやはり、腹が立つことはたくさんあります。心が煮詰まりそうになったら、診療所で吐き出して下さいね。介護はひとりでは限界があります。医療や福祉や地域も捲き込んで一緒に対応していく時代になりました。少しでも心が軽く、穏やかになるご提案やお手伝いが出来るよう、困る前にいつでも、お声かけて頂けると嬉しく思います。
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